2021年 03月 24日
OF DANDYISM AND OF GEORGE BRUMMELL / J. A. Barbey D'Aurevilly |
ある冬の時期に京都の田舎家で友人たちとボタン鍋をつつきながら、どういうわけかその場にそぐわない「ダンディ(ダンディズム)」の話になった。「ダンディな男って・・・」の話題に、「経済力!」と即答した女友達。「ジェントルマン」とは働かなくても生活できる男のことをさすとの話があるが、「ダンディ(な男)」も同解釈か・・・。いまやその存在だけでなく言葉そのものも死語になりつつある「ダンディ(ダンディズム)」。しかしその定義は難しく興味深い。まずはボードレールに並び称される19世紀フランスの<ダンディズムの哲学者>バルベー・ドールヴィリィ (Barbey D'Aurevilly) の著書『ダンディズムとジョージ・ブランメル (OF DANDYISM AND OF GEORGE BRUMMELL)』のページを繰ってみる。

ジョージ・ブランメルを主題にした映画は、ジョン・バリモアがブランメルを演じた1924年のサイレント・フィルム『BEAU BRUMMEL』とスチュワート・グレンジャーが演じた1954年のフィルム『BEAU BRUMMELL』がある。
1897, London, 141 pages, 100 x 155 x 15
「ダンディズムは定義するのと同じくらい、説明するのも難しい。ものごとの卑小な側面しか見ない精神は、ダンディズムをとりわけ服装の技術、化粧と外的優美の面での大胆かつ適確な独裁であると受け取った。いかにもその通りである。だが同時にまたそれ以上のものである。ダンディズムとはひとつの在り方全体であり、人はただ物的可視な面だけで存在するものではない」
「ジョージ・ブランメルは彼流に一個の偉大な芸術家であった。他の芸術家がそれぞれの作品で私たちを楽しませたように、彼は人格の芸術でもって人々を魅了したのだ。」
「彼の勝利には冷淡さからくる傲慢さがあった。他人の頭はのぼせ上がらせても、自分でその目まいを受けるようなことは只の一度もなかった。思うに、気取りのある慎ましさが、自負心と偽善との混淆により成り立っている英国のような国においては、とりわけあらゆるしきたりを重んじ、かつ道徳的にも申し分のない程の男性が、女性の要求に対しては不誠実をもって応え、あらかじめ尊敬されることを計算に入れた慇懃さの範囲内で冷たくあしらうのを見ることは、なかなか小気味のよいものである。ブランメルは、さような計算も、またなんの意識すらせずにそう振舞った、女性の扱いに長けている者なら、こうした振舞がおのずと生み出す効果というものを充分に知っている。彼は傲慢な女性たちのロマンティックな自惚れを打ち砕き、その色あせた精華に反省の材料を与えたのだ」
「ダンデイの名に値するダンディはブランメルただ一人であった。リシュリュー公は大貴族であり将軍であり、おまけに美男ときて、人生のありとあらゆる力に恵まれたた。これではダンディとしては出来すぎというものだ。だいたいフランス人がダンディを気取るなど叶わぬこと。愛嬌あふれる我が国の青年は似非ダンディにすぎぬ。せいぜい倦み疲れた風情を装い、肘まで白い手袋で固めるがいい。所詮、リシュリューの国にブランメルが生まれるはずもなかろう。」
フランスにおける「ダンディ」の嚆矢とされる作家ジュール・バルベー・ドールヴィリィが1845年に上梓した『DU DANDYSME ET DE GEORGE BRUMMELL』の英訳版として1897年にロンドンの出版社から刊行された『OF DANDYISM AND OF GEORGE BRUMMELL』。
数多くの伝説や逸話が残されているダンディ王、優雅の王、流行界の君主、趣味の判者だったジョージ・ブランメルとダンディズムについての古典。
本の状態:カバーはヴェラム(皮紙)。天金。カバーに経年ヤケあり。前後見返しに点状の茶シミあり。その他は経年変化程度。
価格:¥19,800

上のプレス写真は、スチュワート・グレンジャー扮するボー・ブランメル。
by booksandthings
| 2021-03-24 12:00








