2012年 01月 17日
FRANK MATSURA FRONTIER PHOTOGRAPHER / JoAnn Roe |

茶目っ気のある表情や気取ったポーズをとっている百面相の主はフランク・マツラ (FRANK MATSURA) 。日本人、松浦栄(まつらさかえ)。英語表記どおり“まつうら”ではなく“まつら”である。フランクと言う名は気取りのない性格から当地でそのように名指されていた。
明治6年(1873)に生まれ、明治34年(1901)27歳のときに単身アメリカへ渡り、開拓時代最後の残光が輝くワシントン州北カスケード山地の風景やオカノガン峡谷で生活する開拓者やインディアンの姿を39歳で喀血してなくなるまで撮り続けた生涯独身だった日本人である。
“フランク”と白人からもインディアンからも呼ばれ愛されていたが、異郷で日本人ひとり生きてゆくのに孤独感は免れない。このような百面相を撮るに至る訳は、単に写真術のテスト撮影やふざけて遊んでいるのではなく何かを紛らわすための手段だったかもしれない。1913年に撮影された町の独身男たちがビリヤード店の前に集っている写真にもフランクの書き込みで “OKANOGAN BACHELORS BUT ONE(オカノガン、独身者たち。しかし私もそのひとり)” とある。
フランクの死後、友人の1人がこれらは数十年後に歴史的価値が評価されるだろうと思い1350枚ものガラス乾板フィルムを自宅に保存した。そしてその人物も1963年に亡くなる。その10年後、遺品整理によりオカノガン歴史協会に資料として寄贈され、さらに10年が経過し、1974年協会が美術館に展示したその写真の一部がひとりの郷土史に興味を持つ作家の目に留まる。「マツーラとはだれ?」。数ある写真の中で FRANK S. MATSURA のサインの入った写真が群を抜いていた。そこからこのアメリカの開拓史の資料としても重要な価値を持つ写真を撮影したひとりの日本人が “撮り人知らず” の形で終わらなかった運命のようなものなのだろう。















FRANK MATSURA FRONTIER PHOTOGRAPHER / JoAnn Roe
1981, Seattle, 144 pages, 240 x 280 x 15
フランクがどこで写真を学んだかははっきり分かっていない。ホテルの住み込み雑用役をしていた時にその仕事の合間に写真を撮り、ホテルの洗濯室の洗面台を使って現像していたようだが、夜は水道管に栓がしてあるため、近くの川の水を汲んで現像していた。濾過していない水を使って現像液や定着液などの調合も緻密を有するはずである。また、川で泳いでいる人たちの写真があるが、そのひとりの飛び込む瞬間を捉えたものもある。当時のカメラでは難しい撮影のようであるが、可能にする技量と目を持っていたといえる。
開業したフォト・スタジオには撮影した写真をポストカードにしたものが壁面を埋め尽くしている。世界で最初の写真を使ったポストカードは1898年にフランスで作られたものらしいが、その十数年後にアメリカの開拓の田舎町で売っている。フランクの名詞には土産用ポストカード、季節ポストカード、ポストカード・アルバム、フィルム・印画紙現像、ネガからのプリント、注文制作の写真フレーム、ポートレイト撮影、風景静物写真、スタンプ写真、引き伸ばし写真、寝室に飾る写真、とある。写真に関して考えうるサービスのほとんどがこの時代に・・・。
フランクは生涯独身であり、身体は小さいがハンサムで身だしなみが良くジェントルマンだったようである。若い女性が彼のスタジオに単身で行くと、フランクは「家に戻ってお母さんか兄弟か友達を連れてきなさい。そうしたらゆっくりお茶でも飲みましょう」とよくいっていたようであり、その女性が戻って付き添いを連れてスタジオへ行くと、部屋から優雅なティーセットを出してきて、おいしいお茶をいれ、クッキーを出したという。当時のオカノガンではこのような文化的な楽しみは珍しかったそうだ。
この写真集にはフランクが撮影した牛の群れを追うカウボーイ、駅馬車、祭りや祝日の着飾った人々、メインストリートの競馬、バー(サルーン)、パーティー風景、自動車、オカノガン川と蒸気汽船、工事中の鉄道、果実園や農園、湖、テニス・フットボール・ベースボールに興じる人々、真冬の川、消防署と消防夫、橋、インディアン、白人のポートレイトなどの数々の写真とフランク・マツーラの履歴、エピソードが収録されている。
本の状態: ジャケットに一部擦れ、縁部分にわずかなヨレ、バック・フラップに折れ目あり。その他は経年変化程度で概ね良好。
価格: SOLD
by booksandthings
| 2012-01-17 10:39
| 写真集 作家別作品集

