2011年 10月 08日
L'ATELIER DE MAN RAY / Michel Butor and Maxime Godard |
パリのポンピドーセンターが所蔵する12,304枚ものマンレイの写真の中からポートレイトだけをまとめた本が今年出版されたことは記憶に新しい。1921年にパリに渡り、1940年にナチスの占領を逃れパリを離れてロスアンジェルスに移り、その後また1951年にパリに戻り1960年代まで撮影し続けたポートレイトの数々。主にダダやシュールレアリスムの実験的な写真、モード写真、そしてポートレイトを撮影していることは知られているが、これほど多くのポートレイトを撮影していたとは驚きである。この時期にパリに居る芸術家たちはすべてといっていいくらいマンレイのアトリエを訪れ、撮影を依頼しているのではないだろうか。
さて、マンレイが戦後再びパリに戻り構えたアトリエが左岸の細く曲がりくねった通りにあった。マンレイが伴侶ジュリエット・マンレイと25年暮らした最後のアトリエである。天井の雨漏れから作品を守るために張られたパラシュートのシートをはじめ、テーブル、ベンチ、椅子、ランプ、書棚、暗室、ベッドルーム、キッチンなどをほとんどをマンレイが自ら作ったといわれている。アトリエの入り口のドアには、「危険、高電圧」の文字が。








L'ATELIER DE MAN RAY / Michel Butor and Maxime Godard
1987, Ravenna, 31 pages, 222 x 222 x 4, 限定63部
マンレイが1976年に旅先で心臓発作により亡くなった後も、ジュリエットは夫を偲び、時々このアトリエに行き、ゴロワーズをくゆらせ、スコッチをすすっていたそうである。マルセル・デュシャンがアトリエを最後に訪れた際のタバコの吸殻もそのまま残されたこのアトリエに。
本の状態: 経年変化はあるものの概ね良好。
価格:SOLD
さて、マンレイが戦後再びパリに戻り構えたアトリエが左岸の細く曲がりくねった通りにあった。マンレイが伴侶ジュリエット・マンレイと25年暮らした最後のアトリエである。天井の雨漏れから作品を守るために張られたパラシュートのシートをはじめ、テーブル、ベンチ、椅子、ランプ、書棚、暗室、ベッドルーム、キッチンなどをほとんどをマンレイが自ら作ったといわれている。アトリエの入り口のドアには、「危険、高電圧」の文字が。








L'ATELIER DE MAN RAY / Michel Butor and Maxime Godard
1987, Ravenna, 31 pages, 222 x 222 x 4, 限定63部
マンレイが1976年に旅先で心臓発作により亡くなった後も、ジュリエットは夫を偲び、時々このアトリエに行き、ゴロワーズをくゆらせ、スコッチをすすっていたそうである。マルセル・デュシャンがアトリエを最後に訪れた際のタバコの吸殻もそのまま残されたこのアトリエに。
本の状態: 経年変化はあるものの概ね良好。
価格:SOLD
by booksandthings
| 2011-10-08 12:00
| 写真集

